触れる信仰
不治の病という言葉があります。私たちにとって病はいつも想定外の出来事ですが、治らない病気というものは否が応でも自分自身と向き合わせるものです。
先日、以前いた教会の方の訃報を受けました。その方は 26 年前、余命一年という診断を受けて来会し、以来自分の命と向き合い、信仰決心をされました。ところが酸素ボンベを引きながら教会に通う中体調は改善し日常生活や仕事に復帰できるほどになりました。しかし、完全に治ったわけではなく、他の重い病気を併発し体が不自由になり最後は介護付きの施設に入り、近くの教会に転入し楽しく余生を送っておられました。
転入の信仰告白では、「病気になるたびに、自分の罪について考えるようになりました。そして主イエスが共にいてくださり、罪の贖いをしてくださったことに感謝する喜びを知るようになりました。私は悲観主義者、調子者、いいかげんなどと言われる性格でもあり、また神経障害による味覚異常の症状で食事を相伴できないという困難もあります。でも人と食卓を囲むことは大好きです..」と証しし新年礼拝で主の晩餐を受けた数日後急変し旅立っていかれました。
聖書に、12 年の間出血が止まらず苦しんでいた女性とイエスさまの出会いが記されています。その苦しみは肉体的な苦しみに留まらず、宗教的、社会的な偏見や差別による想像を絶する痛み苦しみでした。しかしその女性は一縷の望みをかけて、ひん死の状況にある少女を救うために急ぐイエスさまの衣の裾に触れたのです。すると彼女は癒しを体に感じました。そのことに気付いたイエスさまは急ぐ足を留め、触れた人を探されます。なぜならイエスさまの力を奪うほどの信仰をイエスさまが感じられたからです。自分の身に起こったことを知り恐れた女性にイエスさまは、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず元気に暮らしなさい」と語られました。イエスさまに触れる信仰は、新たな希望に生きる恵みの信仰と言えます。(小田)


