福音の初め
「あけましておめでとうございます」といういつもの挨拶で新しい年が始りました。昔から日本では一年のうちで大切な日として「盆と正月」が上げられます。それは、家族皆が集い幸いと恵みを分かち合う日で、アメリカでは感謝祭やクリスマスがそれにあたるといえます。特に日本ではお正月は大切な日で、年末にはその年にあった悪いことを忘れ、百八つの煩悩を消すという除夜の鐘の音を聴きながら神社仏閣に詣で清められて新しい年を始めるのです。今でも懐かしく思い出される行事ですが、子どもの頃から「人に迷惑をかけてはいけない。悪いことはしてはいけない。」と育てられた私は、大晦日から新年にかけての行事を守ることによって一年の間「自分がしでかした悪いことが許される」とは思えませんでした。なぜなら、自分の失敗やしでかしたことを忘れることはできなかったからです。
時は巡り、大人になってから宣教師と出会いイエス・キリストの福音に触れた時、人に迷惑をかけずに生きられる人、悪いことをしないで生きられる人など一人もいないことを知りました。そして、イエスさまが私の罪のために十字架に死に、私の罪は赦されたことを信じました。それこそ私にとっての今を生きるためのリアルな福音でした。今年、新しい年に私の心に去来する思いは、神の底なしの愛が私を守り導き支えてくださるということです。その神の愛が、赦されている者としての私を神のみ旨に敵った生き方に向かわせるのです。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と、イエスさまは福音宣教の業を始められました。その善き知らせは神の約束が成就(実現)したことのしるしです。 元々回心を意味した「悔い改め」は、救われてもなお罪を犯す私たちの自力による信仰の限界と、救いが神の国の到来を待たねばならなかったことを表します。私たちにできることは変わることのない愛と慈しみに満ちた神の赦しの中に誠実に生きることです。罪の裁きや刑罰によってではなく、神の愛と恵みによって世界が変わっていく。その福音が宣べ伝えられ神の愛と恵みによる世界の平和や幸いが実現していく一年となるよう祈ります。(小田)

