歳時祈 2026年01月11日 主日

友の信仰

因果応報という言葉があります。人類が月や火星に行く時代ともなれば、そんな言葉はもう死語かと思いがちですが、私たちの心の奥底には行為の結果として現在の幸不幸、現世の行為の結果が来世の幸不幸を決めると思うところがあるのではないでしょうか。縁起担ぎや厄年を気にする人も後を絶ちません。それほど私たちは自分を守るために未知なるものに恐れを感じるものです。新しい年、私たちは何を畏れ、何を信じていくべきでしょうか。

マルコによる福音書では、イエスさまの伝道の働きは数々の癒しの奇跡から始まります。 そこにはマルコのキリスト理解が色濃く反映されていると考えられます。汚れた霊や多くの病気を癒し、ユダヤ教では特に忌み嫌われていた伝染性の重い皮膚病の人の癒しが行われました。旧約聖書では皮膚病は汚れであり罪と結び付けられ清めの規程は厳しく定められていました(レビ記13~14章)。なぜなら民族の存続に関わることだったからです。

その影響からユダヤ教では重い病気や障がいを持つ人が律法の拡大解釈によって罪人と定められるようになりました。そのような中、一人の中風の人が寝床に寝かせられたまま四人の友達によってイエスさまのもとへ連れられてきました。汚れた罪人と見なされていた人を友人たちは厭うこともなく憐れに思って必死に連れてきたのです。そうでなければ、大勢の人でごったがえす家の屋根をはがしてつり降ろすことなどできるはずはないのです。

イエスさまは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。その言葉に律法学者たちは躓き、イエスさまを心の中で裁きました。それを見抜いたイエスさまは、「「罪は赦される』と言うのと「起きて、床を担いで歩け」と言うのとどちらが易しいかと問われました。そして、彼らの答えを聞く間もなく中風の人に「起きて、家に帰りなさい。」と命じ、中風の人は癒されその場をあとにしたのです。そこには、因習の中で暮らしていた人々を赦すことも癒すこともできるイエスがおられました。私たちもこの世にあって、中風の友人たちのような信仰をもって歩む者でありたいものです。(小田)